積みゲーを片してサイトを片さず

 ”積みゲー”とは、購入はしたもののプレイ(クリア)されないままで放置されたゲームの事を指す。ちゃんとお金を出して買っているのなら、クリアしようがしまいが製作・販売会社に対して失礼な事をしているという意味にはならないのだが、数が溜まって捌き切れなくなって来るに従い「自分はゲーマーである筈なのに、それがこんなにクリアしていないゲームを積んだ状態で良いのか?」という罪悪感を呼び起こしたりもする。時には一向に減らない積みゲーを前に、クリアのプレッシャーにより精神的に追い詰められて反ってゲームが手に付かなくなってしまう者までいるという恐ろしい存在でもある。
 ちなみに私の場合には積みゲーについては崩壊状態までには至っておらず、年間を通して見るなら空いた時期を利用してクリアしたりしているので一応一定レベル以下の数には保たれている。ただ個人的に”保存ゲーム”と位置付けているゲームはそこそこ存在する。これは主にプレイしてみたいという考えは持っているRPGとかで、発売後年月が経過してそろそろ買っておかないと簡単には手に入らなくなるかも、となった時点で購入した物が中心。何時プレイ可能になるかは見通しが立っていないゲームであるが、「早くクリアしないと」というプレッシャーは感じていない物がこれに当たる。


 今回のテーマは「ゲームサイト運営者の積みゲー」という、良く考えてみると矛盾した状態について語ってみたい。「紺屋の白袴(こんやのしろばかま)」ということわざがある。染物屋なのに履いている袴は白いまま、つまり本来はその道の専門家なのに自分自身の事には手が回っていないという状態を指す。
 ゲームのサイトを運営して且つ更新のペースを一定に保つとなると、そのネタとなるそれなりの数のゲームをクリアして行かないとならない。しかし元々サイトを運営したくなる程にゲームが好きで数多くプレイしている状態から、そこにサイト運営に費やす時間を割り込ませたら、その分ゲームがクリア出来なくなる事になる。つまり「ゲームサイトの運営が忙しくて肝心のゲームをクリア出来ない」という「紺屋の白袴」状態に陥ってしまう。



 インターネットが一般人の間にも浸透して来るのと共に、個人によるホームページ製作というのは今や特に珍しい事では無くなった。ここでのポイントは、自分の趣味をホームページの題材する事により、新しい形での趣味の楽しみ方が生まれたという点にある。例えば釣りが趣味の人が居たとしよう。しかし幾ら釣りが好きであっても、勤め人であればせいぜい週末の休みに行ける程度であり、その他の平日に釣りに行ったり出来る訳ではない(概ねアウトドア系の趣味は同様だろう)。しかしホームページを運営する事により、メインである釣りそのものに実際に行く事が出来ない日でも、成果を記録として発表する・関連記事を製作する・掲示板で語り合う、といった形で趣味を楽しむ事が出来るようになった。つまり趣味としている事が実際には行えない時でも、それに関連した楽しみが体験出来るようになったという点において、趣味のホームページ運営はその世界を広げたと言えるだろう。
 しかしゲーム関連のホームページ運営はこれとは話が違ってくる。サイトを更新する為にPCの前に座れる時間が有るという事は、同時にゲームをプレイ出来る時間が有るという意味になるからだ。「サイトの更新なら可能だが、ゲームは出来ない」というケースは普通存在しないので、”サイトの更新をする”か”ゲームをプレイする”かの選択になってくる。


 ここで「本当にゲームをプレイするのが好きな人」ならどうするだろうか? そうなったらやはり実際にゲームをプレイする方を選ぶだろう。そしてその対象となるゲームの数は膨大である。どの辺のジャンルまでカバーするのかや自由になる時間の有無は当然影響して来るが、基本的にやりたいと考えるゲームを全てやり尽くせる程の時間が有るという人は稀である。つまり「本当にゲームが好きな人は、ゲームサイトを運営しているような暇は無い」という話になって来る。
 まあこれは極論であり、必ずしもそうではない。しかしそういうケースが多いというのも確かだろう。「ゲームサイトを運営したいという気持ちは有るのだが、ゲームをプレイする方が忙しいので到底そんな時間は無い」という人。或いは既に運営されているゲームサイトの更新が滞った場合の理由として、ゲーム以外の面が忙しくなったとか最近ゲームをプレイしていないから等ではなく、「ゲームは相変わらず好きでプレイもしてはいるが、更新の方に割く時間が無いから」という状況も考えられる訳だ。


 その反面、ゲームサイトの運営に時間を掛けるほど肝心のゲームをプレイする為の時間は削られる事になり、次々とゲームを購入しても積みゲーとして数が増えて行くという状態にもなってしまう。しかしそもそもゲームをプレイするのが好きだという理由からゲームサイトを運営しているのだから、サイトの更新に時間を費やしてゲームがプレイ出来なくなるというのは本末転倒でもある。一方で「ゲームをそんなに多くはプレイしないので空き時間は有る」という人では、ゲームサイトを本格的に運営しようという考え自体に至る可能性が低くなる。(特定のゲームのファンサイトでは無い)ゲームサイトを運営しようという考えに到達するのは、ゲームが相当に好きな人の筈である。だがそれはゲームをプレイする時間を削るという決断をも意味する。にも関わらずゲームサイトを運営する人がいるのは何故だろうか?


 人間は体験した事に対する感想を、それが良いにせよ悪いにせよ他人に伝えたいと思う考えを基本的に持っている。この場合で言えば何等かのゲームをプレイした感想を他の人間に知らせたいという気持ちを持つ事は誰しもあるだろう。例えばブログなどはそれ程その製作に負荷が掛からないので、ゲームをプレイする時間を大幅に犠牲にはせずに感想を簡単に記すには適した方式と言える。日本でも本格的なPCゲームのサイトは少なくても、ゲームの感想を不定期に書き込んでいるブログならば結構な数が存在している筈だ。またそこから特定のゲームのファンサイトが生まれたりもするだろう。しかしこういった物とゲームの総合的な専門サイトはまた別物である。つまりそこから本格的なサイト運営に至るまでには、大きなハードルを越えないとならない。
 ちょっと特殊な例として日時更新が原則なニュース系サイトが存在するが、近年になって日本でもニュースを中心とした大手ゲーム専門サイトが幾つか出て来ており、そうなると独自のニュースソースを持たない個人レベルのサイトでは早さや情報量で上回る事が難しい為に、何らかの独自性を打ち出さないと内容が似通って来てしまうという問題がある。よってこれから新たにニュース系サイトを立ち上げようと考える人は少なくなると想像される。或いはMMOG系ゲームの日々の出来事を綴ったプレイ日記形式のサイトは結構有ると思うのだがこれも特殊例と言える。



 話を戻して、では積みゲーを溜めてまで私自身が当サイトを運営している理由は何なのか? と改めて考えてみる。まずPCゲームはここ日本においては知名度が低いので、それを改善する為にPCゲームの持つ面白さを広めたいという考えはサイト運営の動機として存在する。なおこの”PCでゲーム”という概念自体は、私の意図とはまったく別の形で、近年MMOGというジャンルが広い範囲に普及するに連れて一般人にも認知されるようになっては来ている。


 ゲームに関して幅広い情報が素早く得られるようになったのは、インターネットが発達してゲーム専門サイトも増えて来た90年代の後半位からであり、それまでは情報源自体が少なかった。基本的には月刊のゲーム雑誌しかない状態であり、日本のPCゲームに関しては幾つもの雑誌が存在していたものの(初代PSやサターンが出現する辺りまではゲーム機は低年齢層の物というイメージが強くて、日本でもPCゲームは今よりもずっと幅を効かせていた)、当時私が知りたかった海外ゲームに関する情報を扱っている雑誌は日本の物ではLogin等ほとんど存在していなかった。よって初期はLoginでの情報のみ、その後可能になってからは海外雑誌を取り寄せてそこからの情報に頼るという状態。そんな感じだからそういった雑誌から得られる情報は私にとって相当に貴重な物となっていたのである。
 この時の「こういう物が存在していると非常にありがたい」という感謝の気持ちが、今になって「今度は自分がその送り出す側の立場になって情報を提供しよう」という考えに繋がっているというのはあると思う。海外サイトへ行けば大量の情報が手に入るし、私自身が提供している物も(独自ソースを持っている訳ではないので)そこから集めた物である。だから英語がそういったサイトが読める程度に理解出来るならば、特に私のサイトが必要になる訳ではない。ただ英語が苦手という人が多いのは事実だし、その意味で情報を日本語でまとめて提供するのは役に立つ。ゲームのプレビュー系の情報はそういった考えが大きな動機となって製作されている。


 それと性格的な問題。ゲームをプレイした後に、面白かったor詰まらなかったという感想を感覚的に捉える人は多いと思うのだが、私の場合は面白いのならば「何故面白いのか?」について分析したくなる性分である。私はゲームをプレイする時に常にメモ帳を備えており、区切りの良い所で気付いた点や感想が有れば記すようにしてプレイしている。クリア後にはそれを文章の形で箇条書きとしてまとめて残し、その中でもっと具体的に書きたいと感じた物が”レビュー”として加筆して公開されている。よってレビューは書かれていなくても感想の記録が残っているゲームの数は多い。記録を残すのは将来的には外部に向けて具体的に示したいからという意図も当然有るのだが、自分自身としても文章による記録として残さないとスッキリしないという性格であるというのは確かだ。記録として筋道を通した分析を残した時点でゲームが終わるという感覚である。極端な例えだが、仮にゲームサイトの運営・公開が法的に禁止されたとしても、私はその後も感想をまとめて記す作業を日記の形で続けているであろう。
 この辺の性格は元来私が数学・科学系に興味があり、論理的な展開で書かれたその類の本を読むのが好きだからという点に影響されているというのはあると思う。或いは「こんなに面白いゲームなのに」と思いながらも、海外のゲームやPCのゲームという理由から周囲には全くそれを知っている人間が居ないという状況が長かったので、それに対する欲求不満が、面白さをアピールする為に知らない人にも理解して貰えるような文章の形でそれを記したい、という動機に繋がったのかも知れない。


 本来であればクリアした全てのゲームについて記録(レビュー)として公開したいのだが、到底それは時間的に無理である。一方でゲームだけを次々にクリアして行くというのも、私は精神的に我慢が出来ない。ゲームについて何か文章を書きたいという欲求が抑えられなくなるからだ。現在はその辺のバランスを上手く取りながら、一定の割合で積みゲーを残しつつもサイトの活動の方も行われているという状態が保たれている。
 もしこのサイトの更新が止まる可能性を考えるとしたら、それはどうしても優先してプレイしたいと思わせるような魅力的で面白いゲームが毎年大量にリリースされるという状況になるだろう。しかし幸いな事にと言うか残念な事にと言うか、ゲーム業界の先行きがそれ程明るいとは思えないのが実際の所である。

「積みゲーを片してサイトを片さず」への2件のフィードバック

  1. Seiryu_PGD: Dready
    青龍さんの仰ることはわかりますなぁ。積みゲーって意外に溜まるもんなんですよね。出来るゲームがいっぱいあって喜ぶべきなのか、時間が無い事を嘆くべきなのか・・・。
    私もブログをやってみてサイト運営に当てる時間はどうすればいいのだろうかと始めてから考えましたが、この記事を見てちょっと参考になりました。
    ・・やっぱりゲームを優先させなければ!!(笑)

  2. Seiryu_PGD: wani1965
    何年も青龍さんのレビューを参考にさせて貰ってゲームを楽しんでいます。
    私はFPSオンリーですが、割と長年の趣味ですので(実はもう40歳をとうに越している…)最近は無意識に過去にしてきたゲームと比較や分析をしながらプレイしている自分に気がつきます。
    最近は技術の向上でDOS時代とは比べ物にならないぐらいリアルなゲームが出てきました。でも最初にプレイしたDOOMやQuake等の本当にワクワクしたゲームからはだいぶ感動が薄れています、何も考えずにプレイに没頭して、敵の銃弾を避けるのに自分自身の身体を傾けていた頃が一番良かったのかもしれませんね。

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